掃除道は遊行である


掃除道は苦行ではありません。苦行→易行へと変化し、さらに易行→遊行へと変化してきました。

 

今日の環境整備1級講座で素晴らしい実践をしている経営者から「うちはさらに遊行から喜行へと進化した」という報告がありました。この会社はとてもとても素晴らしい実践をしている会社です。「喜行という言葉もいいな!」と素直に思いました。

 

その上で「遊行」という言葉への動禅掃除道の思いを書きます。
私は実は自分の子供の名前は「遊(ゆう)」と言います。

 

どうしても「遊」というと、「なんかその場を楽しく遊ぶ」という印象かもしれません。でも、私の考える「遊」というのはもっと深いのです。

 

漢文学者、古代漢字学者として著名な白川静先生は「遊」という字をもっとも好んでいたそうです。

 

・遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に他ならない。この神の世界にかかわる時、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である」(白川静 遊字論)

 

・かつて世界は、閉ざされた空間であった。古い時代には、見知らぬ地には悪霊がみちみちていた。

 

・遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。

 

遊とは神人合一の世界なのです。祭りにおいてのみ許される荘厳さと、狂気において神と一体化されるのです。

 

また、遊は形成文字であり、「旗を持って外を旅すること」が語源という説もあります。

 

 

私には「遊」という字には「旗(理念、VISION)を掲げ、理念を体現するために巡回してまわり、悪い環境の邪気を払い、閉ざされた世界を自由闊達に闊歩する」そんなイメージなのです。

 

これはまさしく「掃除道=遊行」のイメージなのです。

 

 

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